とある動物園~vol.124

みなさん、ごきげんよう(#´ᗜ`#)
おとさんです~!

もう、バタバタが止まらない!って感じですが、毎日元気にやっとります♪

昨日は小学校の役員のうんたらで、人権•同和教育についての講演を聴いていたんだけど違和感MAX。そもそも学校という構図が…先生たちが…みたいなところが多すぎてなんとも言えませんでひたー!

直近のアウトプットをべったり。

闇兄ちゃん
https://docs.google.com/document/d/13e-GtBdBdioQ5axzCOYscKbBv1aRl7ZjiDyEc9ceyKM/edit?usp=sharing

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さてさて、また間が空きましたが少しだけ前回の続きをば。

私は人生においてず~っと手加減をして生きてきたって話です。これは今後のとあるの存在意義にも繋がってくるので、最後までお読みあそばせ。

私は人生において、目の前のことには100%のエネルギーを出し切って生きてきたつもりです。学校の勉強はずっと1番だったし、スポーツもかなりできる方でした。

自分の口で言ってるだけでしょ?と思うかもしれませんが、コレはマジで自他共に認めれレベルだったと思います。しかも小学校からずーっとです。

個人的にはエネルギーとベクトルについて悟った5歳くらいのときから、ずっとそうだったかもなぁとさえ思いますわ。この辺も、理解してもらえんという壁を取っ払って話しますね。

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私は死ぬほど田舎のちっさい小学校で育ちました。当時ですら全校160名の小さな学校。ひと学年1クラスしかなくて、人数は28人でしたね。今は学年10人にも満たない本当に廃校寸前のところです。

保育園にいるときにエネルギーとベクトルについて悟った私は無双状態でした。勉強も運動も本当にできました。小学校1年のときから、夜中の3時くらいまで勉強したりしてましたねー。

親には
「私の目の前で勉強しないでくれ!」

って言われるくらいにゴリゴリです。笑

今も変わってないですわ!新学期が始まると計算ドリルと漢字ドリルを受け取って、必ず一晩ですべての勉強を終えていました。次の日に先生に数冊のノートとともに「ドリル終わりやした~」って提出するのが生きがいだったんですよねー。

習ってないところとか、どうすんの…?って思うかもしれないけど、そんなのはテキトーです。漢字なんて見れば書けるし、計算だって法則ルールがわかればいいんですからね。

目的は1日でなんとしても終わらせること。学校の授業は復習だし、学年も関係なく、どんどん教科書をもらって進めばいいですからね。

まぁ小学校の勉強は簡単だし…って中学に行ったけども、人数は28人から60人くらいになったくらいでほぼ変わらず。成績はずーっと学年1位でした。

高校生のときの模擬試験での面白い結果は、数学で新潟県2位。ちなみに1位は隣のクラスの佐田遼介くんでしたね。なんか偏差値バグって89って数字を見たこともあります。笑

全国模試は5位ってのもあったなぁ、高校1年か2年か忘れたけどね。勉強はそんな感じでした。

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また時を遡って、小学生になりますがやっぱ運動も得意だったのです。だけど、難点はライバルが居ないところでした。これは勉強も似たような感じだったけども。

親の影響でバスケが好きだったんだけど、ミニバス部は5人しか居なくて大会とかは出させてもらえませんでした。練習は女子と合同でやらせてもらってました。

中学に行ってもほぼ変わらずでした。

親には他の学校に行くようにかなり進められました。隣の街に行けば、全校数百人のマンモス学校もありましたからね。

だけど、私はみんなを置いて違う学校にいくのが悪いことだとなんとなく感じていました。だから勝つスポーツよりも楽しむスポーツが大切だと言い聞かせていたし、口に出していました。当時はそれを信じて疑わなかったけど、私は本当は勝ちたかったんだなぁ。

←みたいなこの辺の感情はつい最近に気づいたこと。

当時の身体能力のやばさは異常で

いつも陸上の人からオファーが来てたし、100mで全国大会にいく人よりもタイムが速かったし、1500mで全国大会にいく人よりもタイムは速かったし、幅跳びで優勝するやつより飛ぶし、垂直跳び80くらい飛ぶし、立ち幅跳び…ハンドボール…

高校生のときは帰宅部をやっていて、スポーツ万能で全国大会にゴリゴリいくようなヤツらを差し置いて、スポーツテストで1位になって県から表彰されていました。

みたいな。

もうこんな自慢みたいな話、うんざりでしょ?でも全部が本当だし、こんな勉強とかスポーツなんて自分の人生の一部でしかないんですわ。

私は目の前のことには100%で臨んでいたつもりだったんだけど、自分の能力を出し切るという意味ではいつも100%じゃなかったんだと思います。

だってそういう環境を選んで挑戦し続けられなかったから。

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私はいつしか、自分の100%を出すってのを人前でやらなくなったんですよね。だから実績とかも本当に語らないし、ほとんど表に出してきてないです。

これはビジネス的なものも同じ。

私の実績ってね、嘘みたいなんですよ。
表に掲げていたら詐欺師みたいに見えるんですよね。だから、本当なのにずーっと隠して生きてきたんですね。

だけど、私はそれを辞めます。もう隠すのも手加減するのもウンザリなのですわ。100%の豪速球、フルスイングってのはそういうことです。

とあるコミュニティって、もともとは私がそういうのを全部出すつもりでつくった場所でした。だけど、私はここでも手加減してしまってたんですね。

それは誰が悪いとかではなく、きっと自分が受け入れてもらえないとどこかで思っていたから。実際に「一緒に生きようぜ!!」って伝えても「重い…」って返ってくるんですから。

そりゃそうだ、本気であることを辞めたくもなるよね。だけど、重いってのもわかるんです。

ということで、私の中でとあるの位置付けが随分変わるなぁと気づいたのが7月末。

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ここから、少しだけとあるコミュニティの未来について話します。

全力で生きるぜー!!!と伝えたばかりなんだけど、とあるコミュニティのみんなとは人生を共にすることを辞めます。

これは冷たい意味ではなく、共に生きたい人とは共に生きればよくてね。私が共に生きる人として断定する場として、とあるはふさわしくないと気づいたんですね。

今って、私は外向きにあんまり発信してないからとあるって私と関わる最低防衛ラインみたいな側面もあったと思うのよね。だから、その哲学に触れたいとか観察したいって人も多いのかと。

そんな人たちに

一緒に生きようぜ!
命を分け合おう!!
一緒に暮らそうぜー!!

ってなったらそりゃ、重たいのです。だから私は、みんなと共に生きるのは辞めます。だけど、とあるコミュニティは変わらず存続します。

ここはここで大切な役割があると気づいたから。

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とある動物園化計画。

これが私の出した結論でした。とあるコミュニティは徹底的に私を観察する場として機能させないといけないなぁと。そういう場所って必要よね?じゃないと先に進んだ関係性になんてならないんだから。

そんなことに今更きづいたのです。笑

だけど、今年の7月まで私が命をかけて、エネルギーを注いで共に生きようとつくってきたことは事実なんですよね。ご迷惑をかけたみなさんにはすんません!!なんだけど。笑

これからも共に生きる人は私から100%でアプローチするし、一緒に生きない道を選ぶならなんにも問題はないのです。

その上で、ずっととあるに居ても大丈夫。

そんな感じ。

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ということで、近々でとあるコミュニティは生まれ変わります。というか、私の中ではもう生まれ変わっていますね。

だから、よりオープンな場所になっていくし、これから外壁を越えて動物園内にはたくさんの人が溢れる可能性があります。

質という意味では多少の変化はあるかも知れませんが、コミュニティってFacebookグループのことじゃないですからね。半年以上、私と共に生きてくれた人ならこの意味もわかると思います。

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でな感じで、今日のメルマガはこれで終わらせます!笑

書き殴ったけど、かなり重要な話みたいなことしてますよね。

誤字も脱字も書き直しもしてないので、流れも表現も見苦しいところがあるかと思います。しかし、これが私ですからね~。

近くに居てくれなければ、みんなが困ったときに手を差し伸べられないんだよねぇ。ずっと愛おしい7ヶ月間でした。

これからも自分勝手な私をよろしくお願いします。

ではっ!いつもメールを読んでくれてありがとう♪みんなの返信がコミュニティのエネルギーになります。

メルマガから感じたことをアウトプットして聞かせてもらえると嬉しいです。

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