とあるのみなさま、ごきげんよう。
ゆっこです。戸籍とゲームの人です。
年月が過ぎるのが早くて、びっくりしております。
まず、私の近況からお伝えさせて下さい。
無事に6月あたまに実家である福島県いわき市に帰ってきました。
パソコンで作業していることがほとんどであまり外には出ていませ
ここだけみると
小田原にいた時と大きな変化はないような気もしますが(笑)
みなさんからみて、どうでしょうか?
仕事を辞めて最初にお手伝いにいった民泊では、
なぜそこに私がいる必要があるのかわからなくなり、3ヶ月で出て
そのあとにお手伝いにいった小田原でも同じことを感じ、10ヶ月
こうして同じことを繰り返している私。
いったい何に気づいてないのでしょう。
周りからは見えているのに、私に見えていないものってなんなんで
どちらも、ぜひと言われて、行ったはずなのに。
私のことを大切にしてもらえなかったんですよね。
…と思ってしまったら、もう続けるのは無理ですよね。
誰のために?何のために?
簡単なことのはずなのに、どうして難しく感じてしまうのでしょう
振り切ると決めたはずなのに、振り切れていない。悔しい.。
と思って、やっとずっと気になっていた部屋の片付けに手をつけは
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あふれかえる物をみて、本当に捨てることができていないと痛感し
私は「選ぶ」をね、やらないといけないんですよ。
改めて実感しております。
今の私に必要なものって、きっとこんなに多くないはず。
明日もし死んだらこれを残った家族に片付けさせるのかと思うと、
明日死ぬかもしれないって本気で思っていないから動けていなかっ
最後だからって本当に思っていると何か変わったりするのかしら。
終わりってなんなんでしょう。
終わりって特別なことなんでしょうか。
終わりの定義ってなんなんでしょうか。
コミュニティなのか、人間関係なのか、人生なのか、それによって
なんとなく終わりについて考えたよというおはなしでした。
みなさんは終わりについてどう考えますか?
終わりを考えてみると、あたりまえなことってないよなぁと。
考えることも大切だけど、動かねば!とも思いつつ、まだまだもが
読んでいただいてありがとうございました。
とあるのみなさま、今後ともよろしくお願いいたします。
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