みなさま
お疲れ様です。
工藤です。
交換日記の文案をお送りしたくご連絡いたしました。
ただ、収拾つかず長くなってしまったので、メルマガの都合により
おとさんは体調を崩されていたとのことで、引き続きご無理はなさ
よろしくお願いいたします。
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工藤と申します。
交換日記の最初が自分で良いものか…悩みつつですが、よろしくお
お題ですが、自己紹介のうち趣味の1つであるお能に興味を持って
お稽古を10年続ける先達が「ようやく『お能の香り』の『か』ぐ
自分には香りさえまだ漂ってこない…という状態ではあるものの、
そもそもお能とは?というのは、能楽協会さんのHPにお任せしま
ようこそ!能楽の世界へ | 公益社団法人 能楽協会
https://www.nohgaku.or.jp/about/welcome.html
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まず、自分はお能の何に惹かれているのだろうということについて
考えてみると、その1つがサイクルなのかなと思います。
「生-死」「若-老」「継承」といったものです。
例えば、時代にもよりますが曲の展開の1つに「死者が他の姿を借
現実的な意味はなく、救われるものも救われないものもあるのです
また、若い頃から芸を極めて老いにあって退くという演者自身の在
老という限界が少しずつやってきて、それを見つめながらそれでも
同時にそういった姿を若手に見せることも間接的な継承の1つなの
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さて、先のつるけんさんのメルマガに「背景を感じる」というテー
言葉、行動、現象…広げてみれば様々なものが対象になるかと思い
一言でいうと、これはおこがましいのは承知の上ですが、「目を逸
とても高名な方がシテ(主役)だったのですが、少し違和感があり
お能は引き算が大事、静止があるから少しの動きが大きく見えるの
舞台の上では、静止(実は多方向の力の緊張状態)が大事なのだな
それなのに(というと意地の悪い言い方でしょうが)姿勢維持もま
目を逸らしたいのに観ざるを得ない、そんなじゃりじゃりした時間
これが老の一面か、とも思いました。
ちょうど1年前の舞台を拝見していたので、尚更時というものが恐
その後、かつてのインタビューで病後の舞台の出来に悔しさを露わ
どうしてあの状態で舞台に立ったのだろう?
自分にはその「背景」に迫ろうとすることが、誰にとってというこ
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「背景を感じる」働きかけは、自分からできるものです。
そして多くの場合は、真意の伝達という点等で相互にある種やさし
それでも「背景を感じる」ことをやめないならば、自分は何を知り
そんなことを考えました。
先のメルマガから、消化できていない何かに躓いた、という感覚が
もう少し簡潔にまとめなければと思いましたが、収拾つかずこのま
何卒お許しいただければと思います。
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