神は細部に宿る【交換日記】~とvol.237

お久しぶりです&はじめまして。
今回の交換日記を担当させていただく工藤です。

近況の散らかったお話で、全体の流れに沿わないお話になる気がします…
申し訳ないなと思いつつ、気の向くように書かせていただきます。

自分は会社で働く人間ですが、仕事が未消化のままお盆休みに突入し、落ち着かぬまま帰省しました。

実家で、晩酌中の父とぽつぽつと話をしつつテレビを眺めていると、時期柄戦争の話題で、当時書かれた日記がうつし出されました。

それを見ながら父が美しいと言い出しました。

昔の人が書いた日記の、文字が等間隔にぴっと書き込まれた生真面目な感じ。
また似たものには、
女に学は不要という時代に、負けるものかと学んだ女性の書いた文書に漲る気概。

個々の字が上手いかというと上手いともいえないものの、全体から感じられるそんなものが美しいと。
また、美しいものには大体お金がかけられている今の時代に、とりとめのないものに誰かがひたむきに取り組んだ、そのような美しさが存在していることが嬉しいと。
若い頃は何とも思わなかったが、年を重ねていくとそんな美しさが感じられるようになるものだと。

父はそんなことを考えていたのか…という驚きで黙り込んだのですが、ふと、父の仕事はこんな感じだな、と思い当たりました。

とっくの昔に定年退職しており、今は早朝のみ仕事をしているのですが、
誰がやっても結果は同じ・大きくもないことだけれど、見えないところできちきちと仕事をしている感じ。

神は細部に宿る、というか、在り方・行為そのものが非常な力になる、というか。

最近どたばたと慌しい自分をちょっと長い目で省みると、何かそういう一本筋の通ったひたむきなものを見失っていることが自覚されて不甲斐ないと思う一方、
仕事から離れて世の中全般に、そのような物事の美しさが存在していることの有難みを感じました。

日常のなんてことのない、経済的価値があってもなくても、世界のその辺の何かに、見知らぬ誰かの心意気が満ち満ちている美しさ。
それを感じるように、つくり出すように、時を過ごしていくこと。

何かとても豊かな感じがします。

休みが終わり慌しい日々に戻れば、また現実的な問題に清濁併せ呑み、余裕なく対応しているのかもしれません。

それでも、自身の立ち返るポイントとして、長い長い時間軸で意識のどこかに置いておいて、きっとそういう風に時を重ねていこうと思うのでした。

読んでくださり、ありがとうございました。

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