本音と建前【交換日記】~vol.256

とあるの皆様、お久しぶりです。

工藤です。

この日記は本来は11月3週目で書く予定のものでした。

が、(言い訳になりますが)色々とあって書けず申し訳ない気持ちで書き始めております。

11月は公私共に色々な出来事を体験し、時の早さを感じつつ、無事かどうかはさておいて、兎にも角にも12月を迎えられた事実に安堵する自分がいます。

そんな今の近況報告です。

まわりくどい表現で始まり恐縮なのですが、

状況に即しているかわからないが自分が抱えていることをとりあえず本音で話す、その後の痛みを感じているなという週末でした。

先週金曜日はへんてこりんな日で、朝一の会議に始まり、急な席替えで終わったのですが(※自分は会社勤めです)、

その日の中で2回、内外真逆に立場の異なる方々と本音に近い言葉で話をする機会がありました。

内外それぞれに事情と正論、本音と建前、暗黙の了解がある中で、自分の立場で言える事を言ったつもりだったのですが…

後になってから自分の地金が出てしまった痛み、胸の辺りを目の粗いヤスリで擦られているようなじゃりじゃりした痛みで一杯になっています。

その時は情報を得たい、本当のことを知りたい等と必死だったので、色々と気を配る余裕がなく、自分のその時の力量ではしょうがないといえばしょうがなかったのですが、

週末、事あるごとに痛いなぁと立ち止まってしまいました。

なぜこれほど本音を出したことが痛かったのか、

色々と思いを巡らせていたのですが…

本音に近い部分を出して痛いのは、後になってあれが正だったのかという不信感や疑念、穏便に済ませるという一般的な教えを破ってしまった後悔に苛まれるからで、

さらには急場で出した言葉が事実に即していると自信がもてるよう普段から物を知ることや、自分の思いを腹を括って的確に伝えようとすることをしてこなかったからですし、

きっと他の人ならある日のある場面で終わるだろう出来事がこんなに尾を引いてしまっていることに、経験の少なさを痛感しています

日々の移り変わりの中で痛みを抱えて動けないままとはいきませんが、

自分にお灸を据える意味でも痛みを無碍にしないようにしようと思っています。

もし年末ちょうどに日記を書くならば、無事に年末を迎えたと書けるような日々を過ごしていければ。

年末が近づいてとあるの皆様にも色々あった・現在進行形で色々ある時期なのではないかな、と想像していますが、

こんな人もいたのだな、と生暖かい気持ちで読んでいただければ幸いです。

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